2019/06/26 15:58

(続きです。)


しかしここ数年、
アメリカやヨーロッパを中心に
レコードは爆発的な盛り上がりをみせています。

これは単なる懐古趣味などではなく、
「結局、音楽を聴く最良のプロダクトはレコードだよね」
という、至極まっとうな評価を受けてのことだと思います。


興味深いのは
ストリーミングやYoutubeなど、
「音楽がタダで聴ける」ようになった時期とレコードの再評価が
ほとんど同じタイミングであるところです。


「受動的な音楽」と「能動的な音楽」
「必要な音楽」と「意味のある音楽」
「聴き流す音楽」と「向かい合う音楽」

ちょっと語弊があるかも知れませんが
このような二極化が進んでいるように感じます。



同じような流れが
出版業界や本の世界にも起こっています。

「本屋が潰れている」というのは本当ですが
「小さくて個性的な本屋」が増えているのも事実です。

書籍全体の売上は減少していますが
「自分だけの一冊」に意味を見出だす人たちは増えています。

最近の古本屋さんや古本市の盛り上がりなどは
その現れだと思います。



電子書籍やスマホなどの中で
あまりにも多くの文字や文章が流れていく中で、

本屋さんであれ、小説であれ、
「この世界観の中にもっと浸っていたい」という欲求が
より強くなってきたのかもしれません。


そして
流れの中で留まるためには
やはりある程度の「重さ」が必要なのでしょう。


だから
レコードや、実店舗や、紙の本など
「手応えのあるもの」が必要とされているのだと思います。


なんでも「小さく軽く」なって流れていくこの時代に
「大きくて重たい」ことで、ひとつところに留まることって
結構大事で、意味のあることなんじゃないかな。


デカくて重い写真集のページをめくりながら
そんなことを考えました。